銀閣寺道 〜お月さまを仰いできいた物語たち〜
この唄ができたから“CDを製作しよう”と
思い立つことができました。
簡単なメロディですぐにおぼえられる歌詞です。
故に、お年寄りの集会などへ行っても、
口伝えですぐに、歌って頂くことができます。
自分で作った唄が、みんなで大きな声で歌われる。
それは、とてもうれしい瞬間です。
これからもっともっと広がって、老若みんなで、
この唄を歌って頂けたなら、ありがたいです。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
“お月様は今年も豊作で 稲穂ゆれるこがね色
お月様は今年も万作で うさぎがピョンとはねた”。
そんな他愛もない唄です。
チェロが奏でるベースラインが印象的で、
ピアノもヴァイオリンも、
うさぎみたいにピョンと跳ねています。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
長い間、モヤモヤとした気持ちの中にいました。
しかし、やっとそこから抜け出して、
このCDを発表する‘今’にいたりました。
そのことをそのまま唄に致しました。
少々、長い唄やなぁ…と、私自身、思います。
そして少し、恥ずかしいなぁ…とも思います。
一つの決意表明みたいな唄でもありますから…。
途中から入るヴァイオリンが爽やかな感じです。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
この唄は、18歳の時に作り、
気がつけば、
ずっと歌い続けている唄になっていました。
ライヴで、
ギターをつまびきながら、この唄を歌うと、
なんだか、空気が変わるみたいです。
録音は、ピアノとヴァイオリンだけのアレンジで
きれいに仕上げました。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
このCD、全11曲中、唯一、
ギター1本での伴奏です。
ギター1本の場合、前奏・間奏・後奏も
ギター1本で表現しなければなりません。
そして、それが個性になってきます。
故に、私のいつものライヴの感じが
そのまま出ています。
そして、この唄につきましては、
短い詞に複雑な心情を込めることができた、と
自負致しております。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
“CDを作ろう”って思い立った時には、
この唄はまだできていませんでした。
CDを作ることになって、“そう言えば、大人になって
レコードを出す時、こんな様子をジャケットの写真に
使おうって、中学生の頃に思ってたよなぁ”と
もの思いにふけっていたらできた唄です。
ウッドベースのように頭から最後までピチカートで弾く…という
珍しい?チェロの用い方をして、温かくて爽快な唄に仕上げました。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
“出発”は“たびだち”と読んでください。
ピアノとチェロの編曲で、
前奏・間奏は、ショパンさんのピアノの名曲を
頂きました。
この唄、恋歌のようで、恋歌ではないのです。
私が思う“きみ”を、
あなたも思い浮かべてくださいますことを
願っています。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
非常にローカルな話ですが、私の生まれ・育ちは京都市左京区の大文字山のふもとです。
比叡山は大文字山の北側に連なります。
この唄は、秋は秋でも、夏が過ぎたあとの秋なのか?冬になる少し前の秋なのか?
そんなことを、このCDの監督とだいぶんと話した記憶があります。
それで、ギターとチェロから成る編曲を確定致しました。
詞とメロディだけでなく“編曲で唄を伝える”ということを考えさせられた唄です。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
CD収録11曲中、唯一、私以外の方が作者に名を連ねた唄です。当時、大学生だった女性の
ノートを見せて頂いた時、たくさんの詞がありました。その中で、唄にしたくなった
ものがあり、まとめたのがこの唄です。たった2行の詞でしたが、すぐにイメージが
膨らみました。女性の言葉は「やっぱりこの詞に目がいきましたか?」。
“書き手の思いは、自然と読み手に伝わる”ということを、改めて実感致しました。 作詞 黒田順子・なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
なぜこんな妖しい唄ができたのか?自分でもわかりません。
…が、いい感じです。
ピアノもヴァイオリンもチェロもコーラスも、みんな妖しい。
ヴァイオリンは、ジプシー音階というものを意識して
編曲致しました。初めての経験でした。 作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
大人が口ずさむ童謡。
誰もが心の中に持っている、優しくなれる風景を
思い出すことができる唄。
この唄も、そういう唄になれますように。
子ども達からお年寄りまで、老若、いろんな方に
口ずさんで頂きたい唄です。
作詞 なかむら慶秀 作曲 なかむら慶秀
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